■1800年代後半
アメリカでも別の発想でジェットコースターが誕生
絶叫マシン大国と言えばアメリカのイメージがありますが、アメリカではどのように作られたのでしょうか?
アメリカのペンシルベニア州のサミットヒルでは1827年に鉱山発掘の会社が、鉱山から石炭輸送のために丘からの下り坂を利用して The Mauch Chunk Gravity Railroadという長さ14kmの鉄道を作りました。
1850年には、輸送が少なくなったのを機に、50セントで誰でもこの鉄道に乗れるようにし、スリルを味わえるということで評判になったようです。名前は「Gravity Road」と呼ばれていました。
単独施設としてのジェットコースター関連では、1872年にボルチモアのジョン・G・テイラーが「Improvement in Inclined Railways(傾斜鉄道の改善方法について)」として特許を出しているものが書面として最古のものです。ただし、これはあくまで特許出願として出されたもので実現には至りませんでした。
実現したものでは、1884年にニューヨークのコニーアイランドという遊園地にラマーカス・トンプソンが作った「The Switchback Gravity Pleasure Railway」というものが登場しています。ベンチ型の電車に乗って、180mのアップダウンするコースを下っていくものです。さきほどの The Mauch Chunk Gravity Railroadの鉱山鉄道を見て思いついたと伝承されています。
そしてその翌年の1885年にはトンプソンがこの乗り物に関する特許出願しています。
タイトルは「Roller(車輪の)Coasting(惰性走行の)Structure(構造体)の特許」、そう、「Roller Coaster」という名前が誕生しました。一方、同じ頃にアランソン・ウッドは「Circular Gravity-Railway」という特許を出願しています。これは、まん丸の線路が敷かれている上に、円の内側に向くように座席が設置されている椅子が疾走するというものでしたが「一度進んだものが元の場所に戻ってくる」という考え方では初めてのこととなります。
そのような流れの中から、1885年フィリップヒンクルが現在のコースターのほぼ原型となる「the Gravity Pleasure Road」を作りました。コースターの乗り場から線路で進みながら高い位置までチェーンで巻き上げられて、乗った場所にもっどって来るタイプで、トンプソンのコースターと同じく、コニーアイランドに設置されました。
アメリカではジェットコースターの登場からすぐに、より絶叫するマシンを作るべく絶叫競争がはじまったのです。
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