観覧車の歴史
世界初・日本初の観覧車は?
東京と大阪で起きていた、「観覧車戦争」。「これが世界一高い観覧車だ」というのがいくつもでてきている。というのも、裏には観覧車を作っている業者の争いがあるからのようだ。遊園地の大手メーカー「サノヤス・ヒシノ明昌」と「泉陽興業」がその業者。
この両社がどのような戦いを繰り広げてきたか歴史を見てみることにしてみました。題して…「観覧車の戦国史」日本史にひっかけながら、観覧車の歴史をひも解いてみました。懐かしいテレビ番組「カノッサの屈辱」をイメージしながら戦国史をお楽しみください。
■序章:世界初の観覧車もバトルから始まった…観覧車が世界で初めてできたのは、今から100年以上前の1893年のこと。今ですら観覧車の高さのバトルがおこっているが、実は観覧車ができたきっかけそのものも「バトル」がはじまりだったのだ。 世界初の観覧車が誕生したのは、1893年のアメリカ・シカゴ。そして、誕生のきっかけとなった「バトル」というのは、アメリカVSフランスの技術力バトルだったのです。 |
■幕開け古墳(興奮)時代:日本初の観覧車は…?日本初の観覧車も博覧会からはじまり、成長してきました。1906年(明治39年)3月15日に大阪の天王寺公園で戦捷記念博覧会が開催されました。これは1904年~1905年に勃発した日露戦争において日本が勝利をおさめたのを記念して開催されたイベントです。 |
■1980年代・飛鳥時代「陽、出づる国の天子」「世界一高い観覧車は?」というと、横浜コスモワールドにある、あの有名なタイムショックのような観覧車「コスモクロック21」(泉陽興業)を思い出す人が多いだろう。よく考えると、日本に世界一高い観覧車があるというのも驚く話だと思う。次の章で詳しく書くが、コスモクロックができたのは1989年だが、それより前の世界一も、実は日本の観覧車だったのはさらにびっくりだ。 この記録を塗り替えたのは、やはり日本。1985年つくば万博で出展された観覧車「テクノコスモス」がそれだ。直径82.5m、最高点は85m。1985年からギネスブックに刻まれたのはこの観覧車となった。また、このつくば万博ではKDDパビリオンでテレコムリングという、斜めに傾いた観覧車も出展。まさに泉陽興業の天下だったと言える。 このように、81年の神戸、85年のつくば、89年の横浜、とまさに世界一を3回も自ら塗り替えていった泉陽興業は「陽、出づる国」と言え、まさに時代は飛鳥時代…といっても「あすか」とは読まず、飛ぶ鳥落とす勢いの時代ということの略なのだ…と言えよう。 |
■1990年代上期・不安時代「段の裏の戦い」前章で話題になった、横浜コスモワールドの観覧車「コスモクロック21」が誕生したのは1998年、横浜博覧会(YES’89)で出展されたもの。当時の直径は100m、台座が7.5mだったため、最高点は107.5mだった。参考までに通天閣の高さが103mなので、それよりも高いということである。 しかし、実は1992年4月、びわ湖タワーに完成した観覧車「イーゴス108」(サノヤス・ヒシノ明昌)が世界一になっていたのだ。直径100m、台座8mで、その高さは名前の通り108m。たぶんギネス登録はおこなわなかったのだろう。そうなのだ。この時ついにサノヤス・ヒシノ明昌が世界一へと躍り出たのだ。それにしても台座の高さ50センチで世界一が変わるというのも何だかなと思うが…。 そう、この50cm、およそ階段の段差2段の違いの差をめぐった裏の戦い、略して「段の、裏の戦い」と呼んでいるが、ここから観覧車世界一を目指す2社の戦いが繰り広げられていくのである。 |
■1990年代中期・室町時代「金閣・銀閣?」そして、108mの観覧車は5年後、泉陽興業によって再び抜かれることになる。 そして、本題に戻ると、だまっちゃいなかったのが(?)「サノヤス・ヒシノ明昌」。ベイエリアなんて遠くではなく、大阪のまさに中心地・梅田に98年11月にオープンした阪急デパート「HEPFIVE」の中に観覧車を作ってしまった!名前は「大観覧車」…そのままやんか!高さは106mということで、天保山よりは低い。また、直径も75mで小さい。おや?ここで算数が得意な人な早くも計算をはじめていることと思うが、ということは、この大観覧車の台座は31mもある?!それもそのはず、なんと「大観覧車」の乗り場はデパートの7階にあるのだ。 さて、大阪ではデートスポットVS「新」デートスポットという「立地条件」での対決となった2社だった。これはまるで、室町時代の北山文化・金閣が作られた後に、東山文化・銀閣を造ったかのような…う、この章は強引な解釈…。そにかく、これは戦国時代への序章にすぎなかった…
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■1990年代後期・戦国時代:「一日天下」大阪で立地条件対決が行われているその頃、横浜コスモワールドの「コスモクロック21」は静かに解体作業が行われていた。97年春のことである。その数ヶ月後には「世界一高い観覧車」という称号を自社内の「天保山大観覧車」に譲り渡せることになった。 しかし・・・またもや「サノヤス・ヒシノ明昌」が反撃に出た。今回は「立地条件」だけでなく「世界一の高さ」という勝負なのだ。 しかも2つのオープン日は99年3月18日(木)と99年3月19日(金)。「コスモクロック21」は1日だけ世界一の高さだったが、翌日には「大観覧車」にその座を奪われることとなったのだ。これは、「三日天下」ならぬ、たったの「一日天下」であった。 なお、99年3月23日号の「TOKYO1週間」でも観覧車対決の記事があったが、それによると、両社は次のようなコメントをしている。 「やはり高さは重要。観覧車は展望台の役割も兼ねているから高いほうがいいのは当たり前」 う~ん、結局世界一はパレットタウンの「大観覧車」か?
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■2000年代・江戸時代:「黒船来襲」この観覧車戦争はまだ江戸(東京周辺)の時代が続きそうである。2000年3月に港北ニュータウンにオープンする阪急デパートにも観覧車が。阪急ということで、大阪の阪急デパート「HEPFIVE」を導入した「サノヤス・ヒシノ明昌」が担当。 なんか、台座の高さが2.5m高いぞ!とか争っているなら、いっそのこと観覧車の直径を大きくしたら?と思うのだが、そういう動きが実際にあるようだ。それも日本ではなく、海外に。 2000年のミレニアムイヤーを記念した「ミレニアムホイール/ロンドンアイ」がイギリス・テムズ川のほとりにオープン。高さは135m! そして、2001年3月17日、日本に観覧車が登場。場所は、東京ディズニーリゾートの対岸にある葛西臨海公園。ディズニーリゾートを一望できるかもしれないこの観覧車。作ったのは泉陽興業。名前はダイヤと花の大観覧車。高さは117mで世界一にな…ん?117m?ってことはロンドンのロンドンアイに負けてるのでは?テレビのドキュメントで見たところ、実は計画段階では「世界一」でこれでまた「サノヤス・ヒシノ明昌」を抜かした!と思っていたら、いつの間にやら海外で20mも抜かされるものが着工していたという悲しい状況になったということらしい。まさに鎖国をしていたらいつの間にやら世界のほうが発展していてショックを隠しきれないという感じだ。 そして、国内にも黒船襲来のときがやってきた。2001年12月15日、福岡・姪浜のアウトレットモール「マリノアシティ福岡」内に登場したジャイアントホイール。ロンドンアイに次ぐ世界でも第2位の観覧車。最高部120m、直径112mで、直径・台座とも名実ともに日本一となった。しかし、これをつくったのは異国からやってきたインタミンジャパン。エアコンつきでバリアフリー対策までしてあるというすぐれもので、舶来の品の良さに、国内は慌てることとなった…。(すでにこの観覧車はなくなり、ひとまわり小さいもののみ残っているが。。)
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